脳外科医 福島孝徳先生 まとめ

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情報サイト「ライトハウス」|脳神経外科医・福島孝徳(2009年新春インタビュー)

      2015/12/25

脳神経外科医・福島孝徳(2009年新春インタビュー)

出典:Lighthouse 2009年

持てるもの、できる限りのこと
「すべてを患者さんのために」

臨床実績がなかなか評価に直結しない日本医学界で、「本当の医者は患者さんを治せる医者」と信じ、ひたすらに手術中心の日々を送る脳神経外科医の福島さん。48歳で南カリフォルニア大学(USC)医療センターから脳神経外科教授のオファーを受け渡米。自身が確立させた「鍵穴手術」により、「神の手を持つ男」「ゴッドハンド」、海外では「侍ドクター」とも呼ばれ、絶望の淵から多くの患者を救う。現在も第一線で活躍し続ける世界一の脳神経外科医に、その想いを聞いた。

やんちゃな不良少年は
叔父の影響で医学部へ

 父は明治神宮の神官、母は代々神職を務めた家に育ったやさしく気丈な人でした。高校生くらいまでは、そんな両親に反発ばかりしていた悪ガキで、兄と新宿辺りを遊び回り、家出をしたこともありました。そんな私を不良少年から更生させてくれたのが、父の弟である叔父。内科医だった彼の影響もあって、医者を志すようになりました。1浪して、東京大学医学部に入学しました。

「医局に入ったら忙しくて遊べない。学生のうちに人生を謳歌しておけ」と先輩たちに言われ、学生時代はスキーやジャズなど、学業そっちのけで一生分遊びましたね(笑)。誉められた学生じゃありませんでしたが、あの時に徹底的に遊んだからこそ、卒業後はきっぱりと意識を切り替えることができました。医療の現場に出て、「患者を持つ」ということのその重さを、本当の意味で自覚したんです。

私の人生の目的、モットーは、「すべてを患者さんのために」です。その言葉通り、自分の持てるもの、できる限りのことを、すべてを患者さんのために使う生活です。卒業後5年間は、医局に泊まり込み、月に1度しか家に帰らないこともザラ。1日24時間、患者さんのそばで過ごしていましたね。5年経った頃には、「もしかしたら自分は日本一の専門医になっているんじゃないか」なんて思ってしまっていたほどでした(笑)。

その後ドイツで2年、アメリカで3年、合計5年間かけて欧米の先進医療を学びました。日本一、そして世界一の脳外科医になることが目標で、そのための努力は人一倍しました。そして、世界中の名医や達人と呼ばれる人を直接訪ねては、実際にその技術をこの目で確かめ、良いものは治療に即取り入れました。常に前進、常に進歩、常に改革。この姿勢は今でも変わりません。

恩師の佐野先生は、東大病院当時から、いつも応援しサポートしてくれた

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