asahi.com|神の手ふるう「週8日」
2017/12/20
テレビで最近、医師が出演する番組が目白押しだ。不祥事続きの医の世界への不信感からだろう。名医はどこにいるんだ?
番組ブームのきっかけになった脳外科医が米ノースカロライナ州にいる。デューク大教授の福島孝徳(ふくしま・たかのり)(63)。3年前、活躍ぶりがTBS系の番組で紹介された。
番組を見た人から手塚治虫(てづか・おさむ)のマンガ「ブラック・ジャック」が送られた。福島は初めて読んだ。「確かに僕に似ている。型破りで、不可能な手術に挑戦し、病院を渡り歩く。貧しい人にはタダでも手術する。違うのは、お金持ちからどっさり取らないし、怖くはなく、親切なところ」
福島の日常は「睡眠4時間、週“8日”」。月の3週間は米国、1週間は日本を含む外国で、脳腫瘍(しゅよう)、三叉(さんさ)神経痛など幅広く年600件の手術をこなす。そのうち250件は日本で。ギリギリの難手術と、だれかが失敗した再手術が多い。
抜群の腕前、歯にきぬ着せぬ発言が日本の医学界に受け入れられず、91年、48歳の時に米国に“流出”。いまや「ラストホープ」(最後の切り札)と呼ばれる米医学界のスーパースターだ。
福島は、開業医だった叔父の影響で東大に入るものの、ドラムに熱中し、あまり勉強しなかった。黎明(れいめい)期だった脳外科を選ぶ。
ドイツと米国に計5年間留学。70年代はちょうど肉眼から顕微鏡手術への転換期で、トップ医師たちの技術を身につけて帰国した。東大の初代脳外科教授、佐野圭司(さの・けいじ)(85)は福島を東京・秋葉原にある有力な関連病院、三井記念病院の脳神経外科部長に推す。80年、福島37歳の時だった。
部長に就任した福島は、むちゃくちゃな数の手術をこなした。週2日の手術日以外にも緊急手術を入れて年600件。「一番弟子」で、後に福島の後任部長になる田草川豊(たくさがわ・ゆたか)(54)は振り返る。「怒鳴られたり寝不足だったりでつらかったが、患者を大事にし、一番働いたのが彼だからついていくしかなかった」。福島は外の病院でさらに300件もこなしていた。
部長に就任した福島は、むちゃくちゃな数の手術をこなした。週2日の手術日以外にも緊急手術を入れて年600件。「一番弟子」で、後に福島の後任部長になる田草川豊(たくさがわ・ゆたか)(54)は振り返る。「怒鳴られたり寝不足だったりでつらかったが、患者を大事にし、一番働いたのが彼だからついていくしかなかった」。福島は外の病院でさらに300件もこなしていた。
ふだん陽気な福島が手術室では怖かった。うまくいかないと怒って電気メスのコードを引きちぎろうとしたり、跳び上がって壁をけったり。看護師の首を絞めたことも。ある手術で田草川はミスをした。福島はミスを修復、手術を終えるまでの6時間、手を動かしながら田草川をしかり続けた。
福島は、数々の新しい術式を考案した。特に、頭蓋骨(ずがいこつ)を開かず、骨に開けた百円玉ほどの穴から細い器具を脳に挿入して行う鍵穴手術は、世界をアッと言わせた。患者の痛みは少なく回復も信じられないほど早い。
福島は三井記念病院に11年勤めた後、米国に出る。今までに2万余件の手術を行い、成功率は99%。「もともと器用だし、ドラマーだから両手両足を自由に動かせた。さらに、使いやすいよう徹底して器具を改良したから」
この3年間で8本のテレビ番組に登場し、福島は「神の手」として日本でも有名に。「どの病院でも手術できないといわれている」「手術を受けたがひどくなった」などと救いを求める手紙が毎週50~60通も届く。
自分のモットー「一発全治(1回の手術で治す)」「すべてを患者さんのために」に反する治療の横行に、福島は憤慨する。「腫瘍の1割も取れず、患者さんを車イスにする脳外科医がいる」「僕が最初からやれば治るのに、ほとんどの大学は絶対に僕を呼ばない」
手術に立ち会う日本の若い医師には、人が変わったようにやさしく教える。「患者さんを助ける医師を一人でも増やす。それが海の向こうからの僕の世直し」
東大で同級だった東京女子医大脳神経センター教授の堀智勝(ほり・ともかつ)(62)は、福島の憤りを理解する。「日本では、高度な技術できちんと治すより、同じ患者に何度も何度も手術と放射線治療をする方が高い医療費を取れるのだから」。そして、こう付け加える。「彼こそはまさに脳外科のために生まれてきた男ですよ」
医療記者30年。世界に誇る日本の臨床医を何人も見た。ブラックジャックたちの技と心を追う。