脳外科医 福島孝徳先生 まとめ

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致知出版社|「神の手を持つ男」・福島孝徳氏は、なぜ世界一の脳外科医になったのか

      2023/12/31

神の手を持つ男と呼ばれる脳外科医・福島孝徳さん。その手術には、全世界から脳外科医が見学に訪れるといいます。福島さんはいかにして世界一の技術を身につけたのでしょうか。その心構えと実践に学びます。対談のお相手は、多数の病院やリハビリテーション施設を展開する南東北グループ総長・渡邊一夫さんです。

誰にも負けない努力がすべての根本

〈福島〉
私は若い時からとにかく、日本一、世界一になりたかった。そのためには普通のことをやっていたらダメなんで、「人の2倍働く」「人の3倍努力する」という方針でやってきました。普通の人が寝ている間、休んでいる間に差をつけると。

そういう姿勢で若い頃から腕を磨いてきたんですけど、いま71歳(取材当時)になってみると、人生は短い。私に残された時間はもう少ない。だから、一刻も無駄にできないんです。

〈渡邉〉
いまは年間どのくらい手術をされているんですか?

〈福島〉
600回ですね。一番の盛りは三井記念病院にいた43歳の時で、900回はやっていました。

私は人間の年齢には暦の上の年齢と、生理学的な年齢の二つがあると思っているんです。私が本当に感心するのは、経団連の会長をされていた土光敏夫さん。80を過ぎても矍鑠としていましたよね。素晴らしい人でした。

で、いま世界でも、例えばモスクワの国立ブルデンコ脳神経センターというところは脳外科だけで2000床もあるんですが、ここの総帥がコノバロフという人で83歳のいまも毎日手術をしている。

〈渡邉〉
ああ、そうでしたか。それは凄い。

〈福島〉
それからローマ大学のカントーレという教授、彼もいま83ですけど、手術をしています。

私自身、手術に関してはいまだにマスターチャンピオンですよ。目と手は全然若い人に負けない。だからあと10年は大丈夫じゃないかなと思っています。

これにはやっぱり天性の才能が少なからずあると思うんですけど、それ以上に膨大な数をやっています。だから、私はいつも言うんですけどね、人生は一に努力、二に努力、三に努力、全部努力なんですよ。他の人が信じられないような努力をして、経験を積む。

それから本当はいいコーチがいなきゃいけない。オリンピック選手を見ていても、皆が類い稀な技量を備えている中でどこに差が生まれるか。コーチですよ。

〈渡邉〉
なるほど。でも、福島先生にコーチはいないでしょう?

〈福島〉
いや、私は若い頃、ちょっと暇があれば、世界中の名医を訪ねて回りましたから。

いまでもそうです。毎日勉強しています。あの天才ミケランジェロが残した有名な言葉が「ラーニングアゲイン」。ルネサンス期に世界一の絵と彫刻を生み出していても、いまだに日に日に勉強しています、と言った。

だから日に日に勉強して、日に日に努力して、渡邉先生も同じだと思うんだけど、毎日仕事しています。休んでいられないですよ。私は土日と祭日も一切休まない。夏休み、冬休み、一切取らない。毎日働くのが趣味なんです。

★(本記事は月刊『致知』2014年2月号「一意専心」一部抜粋・編集したものです)

◇福島孝徳(ふくしま・たかのり)
昭和17年東京生まれ。43年東京大学医学部卒業後、同大学医学部附属病院脳神経外科臨床・研究医員。ドイツのベルリン自由大学Steglitzクリニック脳神経外科研究フェロー、米国メイヨー・クリニック脳神経外科臨床・研究フェローを経て、53年東京大学医学部附属病院脳神経外科助手。55年三井記念病院脳神経外科部長。平成3年南カリフォルニア大学医療センター脳神経外科教授。10年カロライナ頭蓋底手術センター所長およびデューク大学脳神経外科教授。著書に『ラストホープ福島孝徳』(徳間書店)など。

◇渡邉一夫(わたなべ・かずお)
昭和19年福島県生まれ。46年福島県立医科大学卒業後、秋田大学文部教官助手、長尾病院脳神経外科部長を経て56年福島県郡山市に「南東北脳神経外科病院」を開院。以来、脳疾患が多い東北地方にいち早くCT・MRI器機を導入する。平成3年北京大学客員主任教授。16年福島県立医科大学臨床教授、藤田保健衛生大学臨床教授。20年最先端のがん治療である「南東北がん陽子線治療センター」を民間病院として世界で初めて開設する。著書に『南東北グループの挑戦』(現代書林)など。

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