m3.com|天野篤|福島孝徳先生と出会って、限界を作ること自体が「自分への敗北」ということを知った
2017/12/20
――結局、医師の働き方改革は、「仕事とは何か」という話にもつながってくるかと思います。
私は、おいしいものを食べたり、ゴルフをしたりするのが好き。そして、眠い時には寝る。私にとっての手術は、それと一緒。内科系でも、研究が大好きな先生は、研究に終日没頭したり、研究論文を調べ、あっという前に総説を書いたりもしている。
外科医は、手術をやっている時間のうち、7割程度は、「仕事している」とは思っていないだろう。自分を高めるための時間、向学心を満たすための時間と考えている。手術時間が6時間だったら、労働時間として評価するのは、その3~4分の1くらいでいい。
医師に、「何をやっていると、働いているという感覚を忘れられる時間は何か」と聞いた場合に、明確な答えが返ってきたら、その医師は、働き方改革のポートフォリオ、自分の中に軸ができている証しと言っていい。一方で、研修医に同じ質問をしたら、返ってこないと思う。
――「9時―5時」の勤務形態か、あるいは自己研鑽の部分が大きい仕事に就くかは、善し悪しではなく、各人の志向であるとお考えですか。
そう思っている。医師は、自分の好きなことをやって、報酬も一般の人よりも多くもらうことができる職種。それを過重労働と言うなら、心か、経済的なものか、どちらかが貧しいのでは。
確かに私の指導は、厳しいかもしれない。しかし、決しておもねらない。「化石」と言われても、自分のスタイルを貫く。私が教授でいる限りは、このスタイルは変えられない。次の教授が、自分のスタイルを考えればいい。
私は今、61歳。順天堂大学の定年は65歳。外科医の場合、歳を取ったり、定年を迎えると、内科系の診療に変える人もいるが、私は目が見えなくなったり、体が動かなくなった時、あるいは結果を出せなくなったら、それはメスを置く時であり、医師を辞めてもいいと思っている。国費を投入されて医師になったが、その時点で医師を辞めても非難されないくらいの実績を残しておけば、それでいい。
しかし、最近脳神経外科の福島孝徳先生と出会って、限界を作ること自体が「自分への敗北」ということを知った。彼は今、74歳で数カ国をまたいで手術を執刀している。社会からの評価と自分自身との戦いは別物と感じたので、行く先に光が見えている限りは挑戦を続けていく。
ただし、適性のある人に医師を目指してもらうために、高校生向けの啓発活動は続けていきたい。医学部に入るまでは、普通は患者さんの目線でしか、医療を見ていない。それだけなく、早いうちから、医療従事者の目線、導線に触れさせる。手術室の裏側、病棟でも、病室ではなく、ナースステーションの内側を見せて、医療者は実際にどんな仕事をしているのかを見てもらう。早い段階から医療の現実を見てもらえば、「やはり医療の道を突き進む」と決意を固める学生もいれば、「これは、ちょっと……」と躊躇する学生もいるだろう。
順天堂大学で今、実施しているのは、高校2年生を対象にした活動。夏休みに3日間単位で計5週間にわたり、高校生を受け入れている。3日間でも、高校生にとって、医療に触れる意義は大きい。そうした経験を積んだ高校生が実際に医学部に入るかどうか、10年後、20年後にはどんな医師になっているかも検証していきたい。この活動は完全にボランティアだが、やりがいはある。